ここへ移り住んでから、毎年のように沢山の栗をいただく。
今年は忙しいから茹でて半分に切ってスプーンで食べる。これで、十分美味しい。子供たちと一緒に、ひたすら食べ続ける。
おやつというものがスナック菓子になってから、人の味覚はどう変化してきたのだろう?
もしくは、変わらない部分があるのだろうか?
「おいしい」というものはその時代、時代に変化している。
そして、それは人の生活様式に大きく影響を受けている。
溢れることを求めたときと、溢れているとき、では人のあらゆる部分が変化してきた。
子供たちには溢れる世界ではなく、無いという中でこの栗の存在は大きい。
これから人が生きていくうえで本当に必要なこととして体験し、感じ、成長させなければいけないものは何なのだろうか?
人が機械ではなく生命というものである限り、私たちが求めるものはどの時代も変わらない。溢れる世界の中であっても、出来るだけシンプルに、無いということに意識を置き生活する。
ただそれだけで、より豊かに感じられるのだから。
選挙も政治も社会もその国の国民が何を考え、何に意識を置き、どんな暮らし方をしているのか?でその結果が現れる。
幾ら頭であれこれ考え、幾ら賢くなろうが、溢れる中で変わったことと、変わらないものは存在する。そのうえでどんな暮らし方が人として豊かで、将来願う政治や社会になるのか?物と時間とお金に追われる人生に平和はやってこないことを人はもう知っている。
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