もう一つの時間

未分類 2015-12-05

SDIM5186

先日、突然農業仲間のiさんが亡くなる。
しばらくの間、どうとらえて良いものか?戸惑い、静かな時間を過ごした。

周りを見渡せば吹き荒れる嵐のように人間社会がつくり上げた、つくり上げている時間が物凄いスピードで通りすぎている。そんな中、彼が残した畑は何かに守られるように静かに存在し、一見止まったように見える野菜も生命が途絶えることなくそこに佇む。
生前、どこか穏やかではなかっただろう彼の息遣いが聞こえてくる。
人と話す時は言葉数少なく、笑顔を絶やすことなく、謙虚で、静かな彼だったが、畑へ向かい合う姿勢は誰よりも本気だった。

有機農業の世界も何が本当なのか?見え難い時代へと入り、主流という流れはその時代と共に変わり、時の流れがどんどんスピードを増し、持続性という中に存在した有機農業も目まぐるしく状況が変わる。そこで働く人々もまたその時の流れの中に従うしかなく、自分たちの意志なのか?実体のない時という流れの意志なのか?見分けがつかなくなる。
いつか輝かしく見える世界になった時、いったい何が本当なのか?はっきりと明言できる状態が私たちの目の前にあるのだろうか。どこか確信が無いままに時が流れる。

色々な思惑が渦巻くこの世界に何かを見出そうと生きるのは命がけと言っても過言では無いようにも思える。
そんな過酷な世界に真っ向から立ち向かった彼の生き方は「お見事」だった。
志半ばなのか?もしかしたら達成したのかもしれない。

苦しむことなく、静かに、まだまだ使える身体、健康体のままこの世を去った最期に何か悔いがあるようにも思えない。まだまだその身体を使ってほしかったと願うのはこの世のエゴなのか?
何かに守られ、静かに存在した畑は人間社会の時間とは別の時間が確実にそこにあることを知らせてくれる。私たち人間社会に何かを訴えかけるように静かに。
それは、彼の意志なのか、彼が作ったその畑の意志なのか、自然界に存在する意志が彼の畑を通して現しているのか、私には分からない。
本当と言うのはまだまだ私たち人間には難しい領域なのかもしれないが彼は一つの答えを残した。それに私たちはどう向かい合い、これからを歩もう。
彼が残したものは大きい。将来必ず私たちの目の前にその意味が分かる時が来るだろう。

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