ジャガイモの実

未分類 2018-05-30

酒に酔って過去を想い出し失筆する。禁酒中だが。
人にとって、育ってきた環境は大人になっても柵として纏わりついてくるもの。ただ、素質や気質のように天からの授かりものではないので、それらによって形成された人格も深く受け入れることで変化する。

運命もまた、人の力で変えることができる。それは、スピリチュアルな世界や風水、占いとかではなく。天からの授かりものの周りに存在する、人生という経験から作られた私という存在は今その時点の選択に常に委ねられているからだ。注意しなければいけないのは自分の足跡というものを知っているのか?否定していないのか?ということ。
深く落とし込む訓練は日ごろの日常にあり。非日常的な行為はそれを見にくくさせる。

常に人は何かを選択しながら生きるが、それは私という存在が選択しているのか?その人生の経験から比べることによって選択しているかで分かれ道がくる。前者は人がする行為に対して後者はその時代による環境の影響が色濃くなる為に本質的に本人が望まない結果を生む場合が出てきてしまう。

自分を知るという行為はとても難しいことだけれども、どんな環境下であっても、世界のどこかの飢えで苦しむ地域であっても、別荘を持ってロングバケーションを過ごす人であっても、日々生き生き暮らし、もし絶望がやってきても乗り越えられる人々は、与えられたものとその周りに存在する人生の中で正確な選択をしている人ではないか?と思う時がある。

いや。
3.11の年に福島に行ったとき絶望に逃げ惑う人々、怒り狂う人々、その中に凛と日々を過ごす人々の姿があった。
自分の人生に嘆くのも良いが、それが人生で最善の選択ではないはずだと。

写真はジャガイモの実。上手くいけばこうして結実する。
上手くいけば。

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