大根洗いとテロ

未分類 2015-11-26

SDIM5148

沢庵用に大根を洗い干す。

子供達も一緒に作業をする。
今年は忙しいから止めようと何時も思うけど、でも毎年やっている年間行事。子供たちと嫁さんが大根を洗っている間に私は冬に向けて薪割り。
人は積み重ね。それは生死の積み重ねであって、時間の積み重ねであって、暮らしの積み重ねであって、歴史の積み重ねでもある。
今の積み重ねている時間は必ず、将来の結果として現れて来るに違いない。今という時間が過去の結果であるように。

パリのテロ。
自分の中に熱風が吹いた。それは、相手側ではなく、自分たち側ということを意識したからだろう。
3.11を教訓に尻込みすることなく早いタイミングで反応しようと思った。
アラブ諸国ではパリを遥かに超える残酷な一般市民の死があるのに、私たちの反応は人の命を平等に取り扱っていないと言わざるをえない。もっと言えば、世界には飢餓で死ぬ子供が沢山いるのに、大量に食べ物を輸入し半分近くを破棄している行為こそ犯罪的だとも言える。そんな私たちが今回のテロにどういう感情を抱いたのか?
9.11のときブッシュ大統領はすぐに「報復する」と宣言した。自衛ではなく仇討という感情的な戦争。アメリカの法律では仇討は合法なのだろうか?その戦争に対して世界の国々は正当な戦争か?を公正な立場で議論されたのだろうか?

テロが起こってから悶々と考えることなく、とにかく必死に自分の中にある感覚を拾い集め、繋げ、文章へと形にする。まつなが畑便りとして。
早とちりでは無いのか?浅はかではないのか?不安と迷いに自信なんてものが無く、自分の中から無意識に湧きあがってきたものが言葉を連ねた。

臆病な私が心落ち着かせるために「あとがき」を後になって書いたのでここに掲載したい。

以下
あとがき
自信の無い中、考え、何を発信すればいいのか?書いていいのか?タブーとされることを含め迷いながら、何度も訂正しながら書き進めて行きました。

今の社会で何かがおかしいという想いの中、善悪を決めてしまうことに違和感を抱きながら、でも意見を言う時には必ず主感と自分の正しきことを前提になってしまいます。ですが、今回は特に自分は正しいのか?を疑い葛藤し書き進むことになりました。それは、分からないけれども今の農業という暮らしや感覚の中で頭と心はどうも違ってくる。それは社会(頭)と自然界(心)の折り合いの難しさから来ているようにも思えます。

多くの人、子供の命が奪われていく憎しみ、その原因を考えれば自分自身に跳ね返ってきて受け入れがたい事実に目を逸らしたくなる。一方でそんな悲しいことは終わりにしたいと願う心。その頭と心の分裂がストレスを生み、間違っていても良いから、めちゃくちゃで良いから、とにかく文章にしようと進めました。私は未熟で間違いを多くします。今回のお便りも短期間で色々な方面から情報を集めた為間違っているかもしれません。明日には180度考えが変わるかもしれない。そんな、自分の中の危機感と無責任さの中もう一歩踏み込みたいとの欲求で書き上げました。

ガンジーの言った「非暴力、不服従」。イスラム国に殺害された後藤さんの言葉「目を閉じてじっと我慢、怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎しむは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟だった。」(本「イスラム国」よ から)を根底に思考する。そしたら何かが変わってくるのでは?と期待し思考し続けます。

以上

もしこの世の中に美しき人の行い、営みがあるならばそれは進歩と持続を生むものだと思う。
もしこの世の中に醜い人の行い、営みがあるならばそれは憎しみと破壊を生むものだと思う。

人は何を美しいと思い、何を醜いと思うのか。

本当ということは悲しみと苦しみから湧きあがってくるもの。苦しみを持たぬ者はこの世に必ず存在する、悲しみと苦しみにもっと謙虚に向かい合う必要があるのではないだろうか?

子供達に大根を洗わせるのは平和への願いでもある。

「ごしごし ごしごし(大根をこする時)しゅうーしゅうー(葉を水の中に泳がせるとき)」と歌いながら洗っている子供たちを見ていると、その声が遥か遠くまで届いているように思えて来る。

まつなが畑便りは野菜セット会員のために毎月発行しています。
読みたい方はメールでご連絡ください。
 kazenomori@nexyzbb.ne.jp

© All rights reserved.