子供と仕事

未分類 2018-03-01


子供と出荷作業をするのは至難の業。
でも、もう少しで保育所へ。

この風景を人生でもう一度目にすることがあるだろうか?次は孫だろうか?
始まりがあれば終わりがくる。そして、再び始まる。

終わりを意識することは、始まりを意識することでもある。

ようやく、重い扉をこじ開けられるかもしれない。寂しさの中に次に差し込む光景が楽しみでもある。

時の流れの中、節目は時間と空間にリズムを生み、
目に見える部分も、見えない部分も、リズムを刻みながらムクッムクッと。

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青い世界

未分類 2018-02-23

自宅から畑までは1.5km、畑から小学校まで700m。
たいした距離ではないが子ども達は毎日歩いて通学している。

畑で集団登校と合流するので、私はその時間に見送りに行く。
子ども達が学校から帰って来れば、自宅に帰るか、遊びに行くか、出荷日なら作業場にいる。

今日、長男は一度自宅に戻ってから再び畑の方へと遊びに出かけた。

私は最近疲れが溜まっていたのか自宅で昼食後、昼寝をしてしまい、15時ぐらいにボケボケと軽トラに乗り込み農作業へ。畑までの道のり、長男がボツボツと歩いていたので、軽トラに乗せて目的地の公園へと送る。

その後、午前中は強風の為に牛蒡の種まきが出来なかったので、種を播く。遅れての農作業、17時を回っても終わらず、長男が戻ってくる。一緒に農作業をしてようやく帰路へ着く。

道中、薄暗い青い光の中、葉が落ちた小枝が重なり合い影となる。
軽トラを止める。
目に映る風景は本物だろうか?真実だろうか?毎日、人は労働をし、生きる。家族が増えればその営みの厚さは増し、その地の執着心が芽生え、空間に時を刻む。
目に映る風景はもしかすると、その人の空間に存在する空想なのかもしれない。

ふと息子を見ると、祖母に貰ったカメラを同じように構えている。
時間と共に青い世界は暗闇へと向かう。

今日は3番目に産れた次女の2歳の誕生日。
妻の手料理と人参ケーキが待っている。

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自走式草刈り機

未分類 2018-02-21

農業において草の始末というのが大きな課題。特にこの地のような中山間地の棚田は草刈りの負担がさらに大きい。

草刈りの労力が大きく、畑の形も悪く、おまけに畑一枚が小さい。生産性が低く農業には不向きな土地。このような土地でどうやって農業をするのか?大きな課題だ。まだ答えは出ないが、単純に農業生産をしていては生き残っていけない。

貧乏百姓。6年前に中古で購入した自走式草刈り機の調子が悪くなったので農繁期までに修理する。キャブレターを分解清掃、燃料コックとフィルターも分解清掃、燃料ホースも交換し、ついでにオイルも交換する。大したことは出来ないがこれぐらい出来たら大抵の問題は解決できる。

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小さな農園の野菜

未分類 2018-02-17

野菜セットを春の端境期を除いて決まったお客さんへ決まった品目、量を作り続ける。そんな農業を続けてきた。
農業と言っても畑レベルの超小規模。たった1haの農地を工夫しながら少量多品目を作付し、年間通して野菜がある状態を作る。一昔前なら1haと言えばそれなりの広さなのだろうが、今でいえば一家族が耕す小さな農園という感じではないだろうか。

そんな小さな農園でまつなが畑は決まった食べ手に向けて野菜を作る。誰が作ったのか分からない食べ物を選ぶのではなく、どこで、どのように、誰が、がはっきりと分かり、食べることで畑の状況を知れる。この社会では少数の人たちがそれを選ぶ。
余った野菜は直売所で売るが、自分たちの範囲を超えて外側での販売はちゃんとしたことをするには必要なことのようだ。ただの金儲けではなく、売るという手段を使って何かを食べ手に伝える努力をする。そうすると金儲け以上の目的が生まれ、外と内のバランスを取ることによってそこまでの道筋が出来ていく。

人は何の為に種を播き、何のために売り、何のために料理するのか。
日常のごくごく普通の労働の中に本当があれば、何かに迷うこともないのではないだろうか。

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凍てつく

未分類 2018-02-14

最近は寒さが厳しく収穫を午後にしている。
朝は野菜が凍てつき、土もスコップが弾き返されるほど固い日もある。

出荷作業は隙間風が多い小さな古民家、野菜を調整するのも手が冷たい。部屋の中にある炊事場の桶も凍っている。

これだけ寒さが続く年も最近では珍しい。

寒さ厳しく身体も辛いが、どこかで安心しているような気がする。暖かい冬はセカセカして落ち着かないから、寒さで縮こまっている方が思考もさえてくる。
巷で冬は冬の、夏は夏の服をショッピングセンターに通う人たちのように私は冬は冬の夏は夏の過ごし方がある。しかし、そこには厳しい冬が必要なようだ。夏はもう少し暑さが穏やかになったら良いなとは思うが、冷夏は冷夏で物足りないと思うのかもしれない。

毎朝、子ども達が雪の中歩く姿を見て嬉しくなる。
「寄り道しないで早く歩けよ」と言っている先から水溜りに張った氷をバッキと踏みつけている。
冬は冬の楽しみは大人も子供も変わらないと気付く。この時代、子どもと大人がどんどん分離しているように思えてならない。私もそうだが車に乗って水溜りの氷をタイヤで踏みつけてしまうからだろうか。
たまには子ども達と一緒に雪の中を歩くのも良いかもしれない。

今回の写真は蛇口に取り付けたホースに繋ぐ器具が凍って水漏れを起こし、滴った水が下に落ち鍾乳洞のように下から氷が立ち上がってきたところを上から撮ったもの。

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小さなカリフラワー

未分類 2018-02-12

今年の冬は大不作の年。
巷も野菜は高騰。スーパーでも有機野菜の価格を遥かに超え大根300円。キャベツ500円。

まつなが畑も全体的に野菜は小さい。キャベツも収穫できるものは全体の3分の1ほどか。
そんな不作の年こそ気付くことも多い。
我が家では余裕が無い野菜はお客さんのところへ届けなければいけないので、キャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワーなど今年は口にする機会が少ない。何時もなら捨てるような野菜も大切に食べている。そういう時の人の気持ちは何故か心地よく思う。それは、豊作を知っているからだろうか。

この日本においてはこういう機会が必要だと思う。そして、明日食べるものが無い国では、たらふく食べられる機会をと願う。

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普通という世界

未分類 2018-02-10

ある時からインターネット上に氾濫している人の言葉が面白いと思えなくなって。
これは重傷だなと。私が言葉を並べても所詮は氾濫した無秩序なインターネットの世界。情報として生産と消費のサイクルの中に放り込まれインターネット社会の繁栄に加担している自分が虚しく思える。

そんな時、2年前に更新が終わっているあるブログを見つける。私と同じ癒鬱質であることが文章から読み取れる。被写界深度が深い写真はそのままを映し出し何でもない日常に在る一瞬を捉える。

テクノロジーに依存しながらもアナログを愛し情報や流行りではないそのままの自分を表現する。会ったこともない人の文章。それは、特別でもなくごくごく普通の人の言葉のように思えたからこそ私には何の抵抗もなく読めたのだと思う。普通がこの社会ではすごく貴重なことになってしまった。

最後の更新は多くの人生をささげたカメラを捨てて終わっている。恐らく二度と更新されることは無いだろう。私はその人の気持ちがわかるような気がした。

孤独から少し解放され、私はもう少し書いてみようかなと思えたのかもしれない。

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