ポトフが美味しい季節になってきた。嫁さんが作るポトフは最高に美味しい。
廃鶏の鶏肉があったので私は焼き鳥を作る。こうして、一緒に台所に立つのは我が家では珍しいことではなく、こういう日は食卓が豪華になる。
役割があり、包丁砥ぎとまな板に鉋をかけるのは私の仕事。そして、肉、刺身は私が担当することが多い。
家族で暮らしを作り、家族で食卓を囲む。そういう当たり前の風景が今では「豊か」と表現される時代かもしれない。
私もサラリーマン家庭で育ったから父親のいない食卓の方が多かったように思う。
この社会に大きくポッカリ空いた穴はそういうことかもしれない。そう思うことがある。
やり残したことは後から取り戻すことはできない。時間は刻々と過ぎ、時代の移り変わりは速さを増す。家族の在り方が少し変わることで、止まっていたものが堰を切って流れ出すかもしれない。そんな期待を何時も持っている。
まつなが畑は何時もあるものを壊して前進してきた。そのたびに人は傷付き離れていく。決して善人とは言えない私たち。
ほんとうのことって何だろうって、ここにくる人はその答えを求めてくるように思う。でもそれが、都合が悪く、過酷と知った時、人は諦めと慰めを求める。
家族で食卓を囲まなければいけないということではなく、どちらが当たり前なのか?
まずは、それを知りたい。
© All rights reserved.