パソコンが調子悪くなり、カメラも構える意味も分からなくなり、ブログも書く必要あるのか?なんて・・・。
知り合いにも「ブログ書いたら」て進められるけど・・・。
色々とバタバタと物事が動き、頭で整理がつかないうちに車を走らせていた。
はっきり言ってすべてが良い状況ではない。ただ、もしかすると、そういう環境はちゃんとした物事が存在するからこそかもしれないし、私たちは絶望ではなく前向きに物事を捉えられ、踏ん張り続けられるのも、少なくとも方向性が間違っていないからなのかもしれない。
静かに、静かに時間をなぞるように時と付き合う。
見えてくるのは現実や事実ではなく、その空間に漂う本当のこと。
人が山を切り開き田畑を作り、そこに生きることで農村が出来る。何時しか人は土から離れ、アスファルトとコンクリートで大地を覆いだす。
高速道路を降りた地は埋立で出来た人工島の工業地帯。山を切り開いた時と同じように人は自然を壊し生きる手段を見出していった場所。
妻と下の娘2人は先に実家へ向かっている。私と長男は一日遅れて車を走らせている。久しぶりに妻の家族と顔を合わせ、少しの時間共に時を過ごし後にする。
港に着いた船員が泊まる宿だろうか?用意してもらった宿で一泊する。駐車場も少なく素っ気ない建物だが妙に居心地がいい。労働者の宿らしく過剰なサービスが無く、人間味ある対応もいい。
早朝、息子と港へ歩く。
冷たい潮風と100%人工で出来た大地、港から眺める景色は内海の先にある工業地帯からモクモクと立ち上がる煙が印象的で、早朝は田舎よりも人気が少ないような気がする。
ちょうど朝日が昇るタイミングでその美しい光景は人が作り上げた圧倒的な世界と見事に調和している。
カメラを持って来ればよかったと思ったが、後でよくよく考えると持っていなくて良かったと思う。
時間と時は違うタイミングでこの世に存在する。
時間に追われ出した時、人は時を忘れ、そこに漂うもう一つの世界を無きものとしてしまう。時間は歯車のようなもので上手く噛合ってっている間は良いが、悪い方向へと噛合いだすと隙間が無いのでどんどん悪くなってしまう。それを直すにはまた時間が掛かる。
一方で時は雲を掴むようなもの。実態は無いが確実に存在するもの。それを信じるかどうかはその人次第だが、人は必ず死を迎える。それを時間という現実で説明できるだろうか。
時の影響が大きい子ども達を見ていると大人の時間にはめ込むことはどれだけ愚かなことかと気付かされる。
私たちにとって遠出することはこういう時ぐらいだが、一回一回がとても貴重で多くを気づかされる。
今回は色々な想いを持ってのことだったが、そこに漂っている世界はとても温かいものであったように思う。
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