普通という世界

未分類 2018-02-10

ある時からインターネット上に氾濫している人の言葉が面白いと思えなくなって。
これは重傷だなと。私が言葉を並べても所詮は氾濫した無秩序なインターネットの世界。情報として生産と消費のサイクルの中に放り込まれインターネット社会の繁栄に加担している自分が虚しく思える。

そんな時、2年前に更新が終わっているあるブログを見つける。私と同じ癒鬱質であることが文章から読み取れる。被写界深度が深い写真はそのままを映し出し何でもない日常に在る一瞬を捉える。

テクノロジーに依存しながらもアナログを愛し情報や流行りではないそのままの自分を表現する。会ったこともない人の文章。それは、特別でもなくごくごく普通の人の言葉のように思えたからこそ私には何の抵抗もなく読めたのだと思う。普通がこの社会ではすごく貴重なことになってしまった。

最後の更新は多くの人生をささげたカメラを捨てて終わっている。恐らく二度と更新されることは無いだろう。私はその人の気持ちがわかるような気がした。

孤独から少し解放され、私はもう少し書いてみようかなと思えたのかもしれない。

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