助産所 心友 2016年2月23日10時13分 女の子
家族でのお産。
2人の子供たちは心配そうな面持ちで母親を見守った。
まだへその緒で繋がっている。この世界へ産み落とさればかりのその子はまだ青白い。
ゆっくりと切り離す。
産声と共に全身いっぱいに空気を取り込み。みるみるうちに変化する。全身の血色がよくなる。
この世に疑いなく安心したのだろうか?とても穏やかだ。
生と死は必ず繋がっている。
生きるを与えられた者、死を迎える者。この世には毎日、生と死を繰り返し、循環しながら少しずつ前へ進む。
母親の体内で無から一つの命が現れ十月十日育まれたその命は大潮のその日、産み落とされる。
へその緒が切り離されるまではまだ母親の一部として。
この世に生きるを与えられたその子は切り離されることでこの地へと降りて来る。
それは儀式のように、一挙動、一挙動が全て決められているように時間と共にある。
時間は無意識の間隔を刻む。
血色が良くなり、シワも伸びてくる。その変化のスピードは私たちの10年分ぐらいだろうか?
もしくはもっと遥かに長い時間の在りようがその時にはあったのかもしれない。
物質的な世界が広がる今にあって、人の本質は何も変わっていない。
当然であろう。
生きるとは、この美しき世界を胸いっぱいに吸い込み、歩み、死へ向かうことを言う。生きるを与えられた誰もに許されたこと。
もし、この世界が物質的な表現でしか表せられなくなった時、人の心の中に何かが弾ける。それが死への欲求かもしれない。もしくは生への欲求かもしれない。
それこそが精神で、生きる者に与えられた贈物なのかもしれない。
人の頭脳では処理しきれない広い世界がこの世に存在する。
生と死の狭間で。
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