べッキーの不倫騒動。どうでもいいと思いながらプライバシーなんて無いなぁと恐ろしく思う。。
メディアは子供のいじめと何ら変わりが無いし、これで、自殺でもしたらこのいじめに加担した人達、メディアも視聴者もどうするんだろう?なんてふと疑問に思う。
そりゃ、子供達のいじめも止まらない。「間違ったことをしたら徹底的に皆で叩け」って大人が見本を見しているのだから。私はそれが、戦争や社会の在り方の捉え方にも繋がっていると思ってる。
どうでもいいと思うどれだけ小さなことでも、日々の中にある一瞬の今と言う生き方が社会へ確実に反映されているはずで、その積み重ねが大きな津波となってその時代の価値や考えたを作っている。時というものは結構重大なことだったりするのかもしれない。
先日の大寒波、その中での収穫は冷凍庫の中にいるような感覚で、野菜を取っているとどれも凍っている。鎌を入れるとサクっとシャーベットを切るような感覚。
持って帰って部屋に入れていても解けず、仕方なくそのまま箱詰めする。出荷所の中でも1度だから仕方ない。
本当なら農家はそんな時は収穫しないだろう。品質的に問題が出る可能性があるから。
でも私たちは食べない日は無いように、食べ物として取り扱っている以上はお客さんに届けることがこの野菜セット定期便の農家の責任と思っている。問題あった時はご連絡いただいて次回の出荷時に対応させてもらう。
商品なのか?食べ物なのか?の違いは大きい。
日々の暮らし方、今と言う一瞬の時を私たちはどう過ごしているのだろう。
白菜を切り取り、寒さで枯れた葉が凍り張り付いているのを素手でめくる。
指先でくっついた葉を剥がすのは、初めは痛いが、だんだん手の感覚が無くなっていく。それでも奇麗になった白菜を見てありがたいなぁって。
こうして水や光や風の恵みによって食べると言うことを与えられる人間が小さな事で争いをしていることに違和感を覚える。これだけ恵まれた環境がある日本で。
日々の暮らしの中に情報が雪崩のように流れ込んでくる現代。実体のない、感覚の無い、その架空の存在は頭の中に蔓延り、実体のない心の動揺を誘う。架空であるのに現実であるというややこしさが定られない状態で次への時へと移り変わってしまう。そういうことはすぐに忘れ去られる。そんな中で出来上がる価値観も考えも何だか軽く感じてしまう。
白菜のように厳しい寒さに外葉を枯らしながらでもジッと耐える。そんな生命の力強さをもった生き方をしてみたいなぁと思う。
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