12月31日

未分類 2015-12-31

SDIM5252

毎年ながら大掃除が出来ず・・今年は小掃除も。
嫁さんのお腹も随分出て来て、妊婦はそれなりに動けていないのだろう。師走は何時もギリギリで走り回っていたから、今年は小走りの12月だったように思う。

1年を振り返れば、よくこんなにも変化があったなぁと感心する。自分たちも世間も。
時間の流れは一人一人が無意識につくり上げているモノ。早いと感じるのは一人一人が集まった時の総量がとてつもなく大きいから。ながれゆく流行りは圧倒的多数によって作られる。

就農当時を振り返ると、このブログもまだ農家としては新しかったし、HPを持っている農家も少なかった。フェイスブック、ライン、ツイッター、インスタグラムなんかは当然無かった時代。スマートフォンも。
それが一気に流行、流通するスピードは企業戦略もあるだろうし、私たちが「便利さ」という疑いようも無い欲求に何の抵抗感も感じないことが、意識をすることができない時代の流れを作くりだしている。

気付いたら足をすくわれそうになる。
私が有機農業を志したときの農家は今よりも生活費はずっと少なかったのでないか。携帯電話代、インターネット代などなど。
経営主体の農業では無く、生きること、暮らすことが主体の農業というものがそこにはあったように思う。

時代は流れ、これから新しく就農する農家はこうした「便利さ」の上でしか農業と言う世界を見ることができない。その結果は。
でも、そこに疑問を投げかけても仕方が無い。「時代は過ぎたのだから」、そう言って私たちも昔ながらの持続性ある伝統的な農業を捨て、機械化、効率化、資材の使い捨てなど、どんどん変化し流れを作ってきた張本人なのだから。

今年は、本当は共に年を越せるはずだった農業仲間のIさんが33歳にして早すぎる死を迎えた年でもあった。
私の高校時代、夕食に500円机の上に置いてある家庭や、バイクや窃盗でよく警察のお世話になり「嘘発見器は晩飯のこと考えたらバレへんで」なんて言っていたり、おやじ狩りをしていたり、という同級生が多い学校だった。その同級生は社会では悪い奴として扱われていたが、同じ時間を過ごした私は決してそうは思わなかった。彼らがそうせざるを得ない背景には大人たちが作っている社会と言うものがあった。
今彼らはどうしているだろう?そうふと思うとこの社会が良い社会とはどうしても思えない。
亡くなったIさんも彼の人生は素晴らしかったと思う反面、今の社会の中での農業の過酷さや在り方がもう少し違えばという悔いもある。

自分たち圧倒的多数によって作っているこの流れの中で生きる過酷さ、世界を見ればもっと過酷な状態がある。それが私たちの経済活動によってつくり上げている場合も多い。
日々意識することなく日常と時代が進む。
もう一度、暮らしの一つひとつに目を向けて時を過ごしてみたい。

美しさと苦しみは何時も背中合わせに存在する。
今日も息子はストーブに薪をくべ、パンを焼いてくれる。娘はその手伝いをする。
そんな日常がまた年を跨いで続き、穏やかに育っていってくれるのだろう。

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