まつなが畑の変わり野菜の一つであるカーボロ・ネロ。寒さに当たって縮れた葉がなんとも美しい。
イタリアの野菜で、スープや炒め物に使う。寒さに当たったものは味が濃く美味しい。
トマトスープにするのが我が家の定番だが、味噌汁や焼きそばに入れても美味しい。
まつなが畑では変わり野菜が幾つかあるけど、どれも料理店向けではない。色々試す中でまつなが畑のお客さんが家庭料理として定着したものを作っている。
恐らく、長く野菜セットを食べてくださっている方はカーボロ・ネロを見て季節を感じ、「今年も来た、来た」と馴染みになっているのではないだろうか。
変わり野菜はなかなか定着しないものもあるし、時代の流れで流行りを作りだし、使い捨て文化の中で使い捨てられてしまう野菜もある。去年はビーツだったかな。
私は、家庭料理としての野菜と嗜好品の野菜は区別している。
今ある多くの野菜も元々は海外から持ち込まれた野菜で、料理も時代と共に変わり、主要な野菜もそれと足並みを揃える。今の主要野菜、ジャガイモ、玉ねぎ、人参はカレー、肉じゃが、シチューかな。
そんな時代の中でまつなが畑定期便の一つの文化として、変わり野菜を取り入れてる。面白いのは受け入れられる野菜とそうでは無い野菜があって、受け入れられると毎年食べたいと思ってしまう。
料理していてその幅が広がるのも一つの喜びでもあるのだろう。食べ手の方の中には「困った~」と言う方もいるかもしれないけど。
農家としても野菜を10品目ぐらい揃えるセット宅配をしていると野菜に種類があった方が毎回同じ野菜セットにならなかったり、少ない時のお助け野菜になったりと作る側にも野菜は多くあった方が良かったりもする。
今は家庭菜園が増えたから色々な野菜の種が販売されていて、多くの種類を作れるようになったが、流行りで使い捨ててしまうのは反対だ。食べ方を同時に提案、もしくは食べ手と共に発案し、家庭料理として長く定着するようにしなければ、それはただの物のように、ある時は持てはやされ、飽きたら捨てられるなんて、余りにも寂しい。
食べるとは風土に則し、脈々と続き、その土地特有の文化と伝統を育み、親から子へと受け継がれ、それはお金に変えられない財産として、普遍的な価値として、私たち人間の奥底へ根付くことで幸福を与え、何世代も受け継がれるものでありたい。
一世代限りの価値ではなく何世代も続く価値あるものこそ、命という時間を掛けるに値すると思う。
幾らお金を稼いだって作れないものを。
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