仕方ない

未分類 2015-11-10

SDIM4980

11月、気温が下がらない。
畑のブロッコリーが早く出来過ぎてしまったりと影響が出始めている。
気候だから「仕方ない」と何時も自分に言い聞かせている。

寒さが来るのを身構えているのだが、少し拍子抜け。夏の記憶もまだ鮮明だ。

子供が育つときに、大人は何しているのか?
自分が大人と自覚した時から永遠と続く課題だろうと思う。社会というものが、一つひとつ私達が積み木を積み上げるように出来ているのなら、その出来上がった社会が結果として自分たちが望んでいる物になっているのだろうか?と疑問に思うことがある。
何故、意識と結果が変わるのだろうか?

何か社会に問題があれば、人は解決したいと思うもの。
ただ、人は「仕方ない」と私が天候で農作物に被害がでるように何時も諦めている。
例えば、この便利で物に溢れた社会で奇麗な車に乗ったり、ショッピングモールで買い物をしたり、贅沢に慣れた暮らしを捨てられず。あるとき社会の仕組みにエラーが発生し、福島の子供達に甲状腺癌が多発する今も「仕方ない」「どうしよも出来ない」と諦める。その積み重ねが意識と結果の違いを生んでしまうのではないか?

今の社会は過去の大人たちが何をしてきたのか?の産物であって、今私たちが積み上げている何か?も私たちの育ちが大きく影響している。

その過去に向かい合い、今立ちはだかる物に対して、何を積み上げるのか?それが、子育てであって、大人の生き方なのだと。

ザリガニを釣る息子の後ろ姿が「何とも頼もしい」と一瞬頭を過ぎる。
私が我が子に与えられるものはこんな日常ぐらいかな。

十分だと思っている。

© All rights reserved.