向かう

未分類 2016-12-09

sdim6196

闇に向かうこの時、人はより深く、より重く、より静かに。
何かが終わり、何かが始まる予感をする。

時とは、陰に向かう時も陽へ向かう時も同等に扱い、在り様を理解するということ。

私たちは時に支配され、光と闇に支配されている。
行動はその支配者によって制約され、私たちは無意識に行動から感覚へと結びつき思考へと向かっている。そこことに、人という物理的な存在は気付いていないが私という生命が時を捉えられたとき初めて無意識の存在に気づくこととなる。

それは、生命という存在は一体だということを知り、そのリズムの中で時の在り様から行動、感覚、思考が何であって、今という時間の取り扱い方から人という存在の在り方を認め、理解する。

焦ることはない。
必然であって偶然であるということは誰もが疑うことではないから。

ただ、人という物理的な存在と生命という霊的な存在が対等になければ時は分離しだし、その歪は肉体と精神を引き裂き始める。
私は思う。
それぞれを引き合わせ、同等に存在させるためには謙虚という姿勢が双方にあるべきではないかと。

偉大なる生命の源が実は私たちの足元にあることに人が気付けば、より大きな存在を見ることができる。それは畏れることであり、敬うことである。

謙虚という中から生まれる必然と偶然を知った時、より疑いようのない確信へと向かう事ができるのである。

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