米炊き

未分類 2015-12-22

SDIM5206

久しぶりに羽釜で米を炊く。
薪で炊こうかと迷ったが、ん~ガスで。

ガスは何て便利なのだろう。薪をくべて火を付けることすら鬱陶しく思える。
薪の量を把握しておけば一度火をつければ後はほっといても炊きあがるのだけど、しばらく炊いてなかったら何となく自信が無い。
こうして人は火を使うことを忘れた。

便利さを手に入れた変わりに、時間を捧げてしまった私たち。
時間が欲しければ便利さを手放さなければいけないのだろうけど、人の心をガッチリ掴んで放さない。
そんなジレンマのなか、人はもっと楽しく生きることができると何の根拠も無く思う。それは、羽釜から噴き出る蒸気、その匂い、音、誰もがそれを知った時、幸せな気持ちになれるに違いないから。
日常では土鍋で炊いているのだが、子供たちはそれを無意識に感じ育つ。次へ繋がるものはそこにある。

次は薪で炊こう。
大人の時間では無く、子供の時間で生きるのも悪くない。便利さと言うのは子供の為にあるのではないとつくづく思う。

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