暮らしと変化

未分類 2018-05-13

気づけば自家用の苺も終わり。
まつなが畑は農業といっても家庭菜園をでっかくしたような農園。季節の野菜がその季節ごとに出来ていく。途切れることなく。
人が食べ繋ぐという、根本的な発想からだが、手間と労力がかかる栽培でお世辞にも農家として良い形態とは言えない。

ただ、物欲やレジャーを望まなければ日常穏やかだし、自分の作ったもので生活できるし、子ども達は季節とそこから現れるあらゆる野菜を目と味覚、あらゆる感覚を通して知ることが出来る。
果たして、それを望むかどうかだが?

今、私がやっている野菜セットの宅配便という形も、ある程度の価格で運送会社と新規契約が難しい今は、新規参入も難しいかもしれない。
私が始めたとき、セット宅配は珍しい形態ではなかったが、今では希少になりつつある。

これからを見たとき、地域に新たなベースとなるものが必要だろう。
それが、作る、売る、食べるの人にとって何を望むのかということだと思うが。

必ずしも望みと行動が一致しないのが人の常。

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