稲刈り

まつなが畑 2015-10-16

子供たちも学校を休ませて実家の大阪へ稲刈りの手伝いに行く。
奈良では殆どの農家がコンバインで稲を刈り、乾燥機で籾を乾かす。稲刈りの翌日には米として出来上がる。
私たち実家ではまだ天日干しをしており、稲をバインダーという刈り取り結束する機械を使い、木で組んだウマに掛けて行く。2週間乾かして脱穀機、もみすり機を使ってようやく米になる。

こういう風景も段々無くなってきた。
昔は手で植えて、手で刈り取り、括っていた。私も知らないが、そうした人の営みはもうない。どの時代も無くなることはあったに違いない。

私が産まれて毎年作ってきた米。
祖父が亡くなる直前も病院で「田植え終わったよ」と母親が声を掛けていた。

人は食べ物を食べて生きている。当然だけど、なんで多くの人は作らず買っているのだろう?ってふと疑問に思う。私たちにとっては当たり前でも、目の前には子どものときは田畑だった所が住宅街になっている。大阪だから田舎とは違いどこからか人はやってきてここへ住む。そして、当然のように「作る」というこはしないで「買う」という生き方をする。今も都会への一極集中は止まっていないようだ。

周りの人たちは私たちをどう見ているのだろう?「こんな都会でものどかな風景だなぁ」なんて?他人事として目に映るんだろうなぁ?

脈々と続いてきた米作り。
この触感、この色、この匂い、この音、そして新米の味。これが、当たり前に自分の身体の中にあって生命と直結している。それは、奈良の田舎に住んでいても周りの農家と同じ感覚だろうと思う。
死を迎える間際でも、たとえそこが病室であろうが、歳の分だけ積み重ねたその感覚は限りない世界をつくり上げているように思う。

だがそれもこの時代までか?
この物質的な計りしれる限りある世界を人々は作り上げ、作り続けている。ものすごい勢いで。

子どものころ遊んだ田畑は一世代で殆どが町となり、空気も水も汚れ、田舎は人口が減り田畑が荒れる。
これが私たちが選んだ社会なら致し方ない。

私は今日も土と向かい合おう。