鉄車輪

未分類 2017-01-13

 

 

SDIM6274

年が明けてバタバタと時間が過ぎる。
冬は冬の仕事がある。今年に入ってまずはずっと放任だった琵琶の木を剪定する。
チェーンソーでバサバサ。切ってみるとすごい枝葉の量に、半分残して終了。
作業小舎ももう少し手を入れたい。新しく入り口を新設する予定。ちょうどいい古建具も倉庫にある。

重い鉄の車輪は押す時には大きな力が必要とする。
だが、動き出し慣性が働きだしたときにはそう力も必要なくなる。ただ、少し怠けるとゆっくりと気付かぬうちにスピードは落ちていくだろう。その怠けが無意識の気持ちの緩みであっても。

それを立て直すとき二つの選択肢がある。
急いで短期的に立て直すのか?先を見てゆっくりと立て直すのか?
どちらを選ぶのかでその人の心境は大きく変わる。
だが、どちらを選ぼうとも、
その先に何が起こるのか、何があるのか、誰も分からない。

重い車輪なのか、軽い車輪なのか、人は選ぶことが出来るし、また途中で諦めることもできる。
重かろうが、軽かろうが、その車輪にどれだけの意味があるかは分からない。
いや、ただの鉄の車輪。
ただ、ただ坦々と押し続ける。

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12月31日

未分類 2017-01-01

sdim6180

今年最後の日。
何時もなら畑の片付けも終わり、31日には機械のエンジンオイルを交換して一年を終えるのだが、今年はそこまで行かず・・・。自宅は何時ものように小掃除で年を越す。毎年やり残すことが増えているような。

「もう今年のような一年はいやだ」というのが正直な気持ち。そんな中、自分たちの暮らしは落ち着きを取り戻す。

子供が産れるというのは大変なこと。核家族で新規就農者でとなるとなおさら大変だということは3人目になればもう分かったこと。「家も作業小舎も畑もどれだけ荒れても良い」と開き直り「これからのこと」を見据えてコトを進める。
今、目に見えている状況は悲惨かもしれない。荒れているのは身の回りだけではなく、野菜セットのお客さんにも、間違って送ってしまったり、請求書を間違っていたりと事務仕事をする嫁さんのミスが多かった。
乳飲み子を抱えての仕事は無理があるのだろう。

それでも、暮らしの中に時間が戻ってきた。
「出来ない」と思うことは人にとってどれだけ身勝手なコトなのか。そのストレスが時間を潰す。子供を持つということは家族・家庭を持つということ。それは、繋げるということであって、未来を作るということで人が死を迎えた後も続く命に対して雑に時間を過ごすことはどれだけ未来を無駄にしているのか?ということになる。
目に見えることや、見栄や仕組みに拘ることはそれほど大切なことではないということに改めて気づいた一年でもあった。どうしても、時間と経済に追われる時に家族の時間は私たちにとって大きな贈り物となった。

より目に見える豊さを追い求め、物と情報と仕組みが増え続けるこの時代に、見えない人の部分が行動へと現れた年、より人間らしくなった年とも言える。
マイナーチェンジを繰り返してきたこの文明も、もうそろそろ根本的な見直しが必要に迫られてきたのかもしれない。

目に見えることや、見栄えや仕組みを追い求めてきた結果、人の中身はどうだったのか?外と内は連動しているということを果たして今の結果から社会という外側を人々はどう判断したのか?

無い時代から在る時代へと変わる時は当然安定するが、在る時代から先を私たちは知らない。もしそれが無いに向かうのであれば、不安定になるのは当然。
ただそれは限りある世界の見方。

歩くということから自転車になり、機関車や電車になり、車になり。
道端にある何かを目にすることが無くなり、偶然な出会や出来と奇跡がどんどん減る。偶然や奇跡は予測や仕立て上げられないところからくること。
移動も情報も時間も早くすることによって沢山のコト・モノを見過ごしているのではないだろうか?それは、もしかしたら限りなき世界から私たち人への贈り物かもしれない。

さぁ、不完全という中で今年も終えることにしよう。
そんな中、土の上で労働が出来、食べてくれる方がいて、暮らしと家族がその延長線上にある。
全てが繋がり、共に生きることができる。
全てのことに感謝し、苦しみや悲しみを忘れることなく、新年を迎えたい。

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冬至

未分類 2016-12-21

sdim6230

ホウレンソウは-2度でも成長するらしく、脅威の野菜。
この冬は野菜不足でより計画的に出荷している。ホウレンソウは年明けに出荷予定。

今日は一年で一番暗闇が多い日。
悩む、考える、メランコリー、から転換する時でもある。
「これから何が始まり、何が起ころうとしているのか?」
そんな、不穏な空気がこの時代という時に漂う。
それを気付くのか?気付かないのか?見て見ぬふりをしているのか?まだ現実味を帯びないが、何れイヤでも体感、目撃をしなければいけないこととなる。

今の年配者はこの時代が良くなったのか?悪くなったのか?見定めることが出来ない状況の中、確実に良くなったこと、と確実に悪くなったこと、両面を知っている。

だから、私たちもこの時代を走り抜けて初めて見えてくるのだろう。
ただ不穏な空気というものは不気味に煙草の煙のように私の周りに漂っている。

まだこの時代は冬至という季節を迎えていないのだと思う。
ただ必ず転換する時が来るはずだ。

物価は上がり、税金が上がり、労働時間が伸び、年収は下がる。
そういう時代ではより価格に敏感になり、より安いを求める。消費はより大量生産された物になり、労働力もより大きな企業へ流れる。

人の意志が反映される職場がないということは私という意識が希薄になる。それは人の経済の自立を可能とし、私という自立を妨げることになる。自分で何かが出来る時代は終わったということになる。
商店が潰れ、小規模農家がやれないことも同じこと。

私たちの日常の中に当たり前のように労働と買い物があれば地域のコミュニティー(社会)ができ、地域の経済と人は自立していく、それは個人の自立にも大きな意味があった。

まだ、暗闇へ向かうこの時代だからこそ、人は悩み、考え、メランコリーに苦しむことをより深く受け入れることができる。それこそがよりポジティブにこの時代を生きるということだと私は思う。
逃避は分裂を招く、より力強く生きることは次の時代に必ず大きな糧となる。

10年計画、30年計画、生涯計画、3世代計画、7世代計画。
最終的に辿り着くところを見たい。
今の人が7世代先を生きれば時代は進むが、作り、壊すのサイクルを早めれば早めるほど、破壊と崩壊は早まる。そんな当たり前のことこそ煙草の煙のように漂っているものなのだろう。

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Flower Style

未分類 2016-12-13

sdim6214

 

五ふしの草と夜8時の待ち合わせ。
週2回を3年近く続けてきた。

最近、サークルKが潰れ、ファミリーマートに代わり、同じ駐車場内で場所が少し変わる。
少し場所を変わっただけでこうも光景が変わるものか?と感心する。
経営者は恐らく同じ。中に入ってみると同じ人が働いていた。

ある時は、週2回高い確率で三重から若い女性が姿を現す。恐らくデリヘル。
黒い怪しい車も多く、何やら受け渡しをしている。
高速道路の高架下。点と点を繋ぐその間にあるこの場所は間違いなく社会の一部。

日が昇れば仕事を始め、日が沈めば家に帰り、家族と食卓を囲む。
そんな日常の中の週2回は光の中に影を心に刻む貴重な時間。

誰もが抱く、オーガニックの美しき世界に似つかわない野菜の受け渡し。そして、小さな子供のいる家庭へと届けられる。
大いなる愛はそれを許すのか?それとも、人の残酷さをもって怒りを覚えるのか?それとも、傍観者となるのか?

何者かたちによってこの世界を架空に仕立て上げられるのかもしれない。
無視することがもっとも簡単な手段だが、現実はそれを許してくれない。そういう時代は必ず来ると思っている。

見て見ぬ振りが許される時代も僅か。
そんなことを予兆させる出来事が今年は多かったように思う。
お金を手に入れることは、続け、繋げることよりも、潰し、作りを繰り返し、その場限りの付き合いに人の心を二の次にし、次の私へと幸福を願いその時を過ごす。それは永遠と繰り返すサイクルへ自分の生身を置くことを人は承知した。

続け、繋ぎ、今の自分を生きることの方がよっぽど難しいということを誰もが知っているからこそ、人は忘れ、騙し、諦め、次へと進むこと選択をする。

照らされた世界も陰る世界も、人は同じものだと気付いているのだろう。しかし、それでも双方に反発しあう。だから、より極端に、より分かりやすい、架空の世界を好む。

闇に向かうこの時、より深く、より重く、より静かに。
その先に必ずある始まりを。

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向かう

未分類 2016-12-09

sdim6196

闇に向かうこの時、人はより深く、より重く、より静かに。
何かが終わり、何かが始まる予感をする。

時とは、陰に向かう時も陽へ向かう時も同等に扱い、在り様を理解するということ。

私たちは時に支配され、光と闇に支配されている。
行動はその支配者によって制約され、私たちは無意識に行動から感覚へと結びつき思考へと向かっている。そこことに、人という物理的な存在は気付いていないが私という生命が時を捉えられたとき初めて無意識の存在に気づくこととなる。

それは、生命という存在は一体だということを知り、そのリズムの中で時の在り様から行動、感覚、思考が何であって、今という時間の取り扱い方から人という存在の在り方を認め、理解する。

焦ることはない。
必然であって偶然であるということは誰もが疑うことではないから。

ただ、人という物理的な存在と生命という霊的な存在が対等になければ時は分離しだし、その歪は肉体と精神を引き裂き始める。
私は思う。
それぞれを引き合わせ、同等に存在させるためには謙虚という姿勢が双方にあるべきではないかと。

偉大なる生命の源が実は私たちの足元にあることに人が気付けば、より大きな存在を見ることができる。それは畏れることであり、敬うことである。

謙虚という中から生まれる必然と偶然を知った時、より疑いようのない確信へと向かう事ができるのである。

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ポトフ

未分類 2016-11-18

sdim6138

 

ポトフが美味しい季節になってきた。嫁さんが作るポトフは最高に美味しい。
廃鶏の鶏肉があったので私は焼き鳥を作る。こうして、一緒に台所に立つのは我が家では珍しいことではなく、こういう日は食卓が豪華になる。
役割があり、包丁砥ぎとまな板に鉋をかけるのは私の仕事。そして、肉、刺身は私が担当することが多い。

家族で暮らしを作り、家族で食卓を囲む。そういう当たり前の風景が今では「豊か」と表現される時代かもしれない。
私もサラリーマン家庭で育ったから父親のいない食卓の方が多かったように思う。

この社会に大きくポッカリ空いた穴はそういうことかもしれない。そう思うことがある。
やり残したことは後から取り戻すことはできない。時間は刻々と過ぎ、時代の移り変わりは速さを増す。家族の在り方が少し変わることで、止まっていたものが堰を切って流れ出すかもしれない。そんな期待を何時も持っている。

まつなが畑は何時もあるものを壊して前進してきた。そのたびに人は傷付き離れていく。決して善人とは言えない私たち。
ほんとうのことって何だろうって、ここにくる人はその答えを求めてくるように思う。でもそれが、都合が悪く、過酷と知った時、人は諦めと慰めを求める。

家族で食卓を囲まなければいけないということではなく、どちらが当たり前なのか?
まずは、それを知りたい。

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眺める

未分類 2016-11-12

sdim6083-5

今回の大統領選どこかイギリスのEU離脱と似ていたような感覚がある。
建前と本音
常識と事実
事実と真実
表立った部分が裏の部分に追い越される瞬間は必ずある。それが何時なのか?だけだろうが、もう世界はグローバル化と情報化で雁字搦めになり、傾向が働き、偶然ではなく必然的な結果なのかもしれない。

今回の選挙はどちらが勝つのか?という関心ではなく、人が発する言葉に民衆はどう捉え、何を選ぶのか?それは時代を反映させ、時を作る。

平等や平和や自由という言葉のうえに議論をすべきことを封じ込めてきた結果とも言える。
今の日本もよく似た傾向がある。話すべきことを棚に置き権利ばかり先行する。
本当の平等
本当の平和
本当の自由
とは
それは、誰が大統領になるのか?ではなく市民が日常的に実践し考え積み上げていくものであって、その結果が社会であり、選挙結果であるはず。
今の豊かさを維持することよりも本当のことに向かい合う方がずっと難しい。

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走り続けろ

未分類 2016-11-05

sdim6082

 

最近、息子を学校から帰ってくると、畑から自宅まで走らせている。
1.6kの坂道。保育所の娘もたまにお付き合いする。

ここで農業を始めて来年で9年目。
8年前、縁もゆかりもないこの土地に6か月の長男を連れて、引っ越してきた。
その記憶も今ではあいまいだ。
始めは5反の土地を借りただけで、自宅は隣町のアパート暮らし。出荷場もなく冬でも畑の真ん中で出荷作業をし、夏はインゲンの日陰で暑さをしのいで弁当を食べた。
一日、誰とも話さず自宅に帰ることが多かった。

今では、長男、長女、次女の5人家族、畑に行けば何時もおばちゃんと畑の話をする。
人には恵まれ、沢山の人に助けられている。
地域の人、野菜セットのお客さん、出荷先の店。最近では、昔からの私の恩師に息子もお世話になっていて2世代かけて教えを受けている。

農業はスタートも持続も難しい。今年の天候での打撃は大きく「終わり」を予感させる。
思い返せば、無謀なことを今まで続けてきて、いつ終わってもおかしくない状況がどの時期もあった。

今回は乗り越えられるどうかは分からないが、今ある私たちの暮らしぶりは運と今までの積み重ねでしかない。こうして田舎で子育てが出来、人にも恵まれ、家族5人揃ってご飯を食べられる。何でもない日常が世間では少なくなり、今で贅沢な時間が私たち家族にはあるように思う。

こういう苦しいとき時間泥棒は私たちに追いつこうとしているのかもしれない。
「苦しくても走り続けろ!」
息子への掛け声が私たち家族の人生そのもののように聞こえる。

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カラスミを焼く息子

未分類 2016-10-12

sdim6004

なかなか真剣な顔付きで焼く息子。
頂いたカラスミを最近は贅沢にいただく。何故か息子が焼くカラスミは抜群に美味しい。

しかも、一回が結構大量。息子も娘も好物らしく・・。
いやぁ美味しい。ほんと、ありがとう。

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どら焼き

未分類 2016-10-08

sdim6013

 

意外と簡単などら焼き。
餡子が余った時には作りたい。

暮らしの中にこういう時間が欲しい。農業をしていると忙しくしようとすれば、いくらでも忙しくなる。時間を作ろうと思えば作れる。
時間は自分の手の内にあるということ。これは、幸か?不幸か?分からないが、まだ時間の主導権は私にある。

家族が笑顔でどら焼きを食べる。なんてことない日常だけどありがたい時間だなと思う。
時間泥棒に取られないようにしたい。

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